地方都市に住んでいる方にとって、人口減少問題が現実味をもって感じられることは多いのではないでしょうか。
ただ首都圏への人口移動は今に始まったわけではなく、日本が高度成長期を向かえる、今から50年以上前からすでに始まっていました。
それでも、一度県外に出た経験を持ちながらも、半分程度の人は故郷に戻って仕事に就きます。
このようなUターン組は、地方都市部にはそこそこいます。
ただし同じ地方でも、街中ではなく、農村漁村では、一度生まれた土地を出ると二度と戻らない傾向があります(もちろん帰省はしますが)。
なぜなら戻っても農業や漁業、あるいは山間部では農業と併行して林業をするしか仕事がないからです。
ここで取り上げる限界集落とは、こうした人口流出を止められないことで生まれた過疎集落のことです。
限界集落とは
「限界集落」という言葉をはじめて提唱したのは、当時、高知大学人文学部教授であった大野晃氏が1991年に使ったことが最初だと言われていますが、概念自体は80年代にはすでに認められていました。
なお1991年に大野氏によって提唱された時、そのモデル地区にあがったのが高知県吾川郡池川町の岩柄集落です(現 仁淀川町)。
一般的に、限界集落とは、過疎と少子高齢化の影響で村としての共助機能が成り立たなくなった集落のことで、65歳以上の高齢者が全体の50%以上に達した地域のことを指します。
また限界集落予備軍を「準限界集落」(55歳以上、人口比50%以上)と呼び、共同体の機能維持が極限に達した世帯数が9軒以下になる集落を「危機的集落」(65歳以上、人口比70%以上)と呼びます。
限界集落は高齢化が集落消滅の直接的原因になっているように誤解されがちですが、高齢化が直接的な原因なることは非常に稀です。
実際は災害やダム建設に伴う移転、それと戦後開拓の失敗が集落消滅の直接的原因になっていることが分かっており、このことは限界集落の問題を考える時に非常に重要な点なので、ぜひ押さえておいて下さい。
限界集落が作られた原因
限界集落が作られた原因については様々な専門家が唱えていますが、その中で、明治大学の小田切徳美教授が指摘する「人」「土地」「村」という三つの空洞化が、説明として一番納得がいくのではないでしょうか。
冒頭でもお伝えした通り、限界集落ができたのは1970年代前後の高度成長期に端を発した、山村から都市部への人口流出がまず挙げられます。
この頃はまだ限界集落ではなく、都市部へ流出した人たちもいずれ村に戻って後継してくれるだろうと考えられました。
ところが、その後50年近く続いた人口流出によって、集落の過疎化は深刻なものとなっていきました。
彼らは生活の拠点を村外に求めたため、「人の空洞化」が始まったのです。
この人口流出は「人の空洞化」に留まらず、農林地の荒廃や耕作放棄地の増加をも引き起こし、山間地域問題が議論を呼ぶに至りました。
これが「土地の空洞化」と言われる動きです。
そして人口の流出や暮らしの変化の波にさらされながらも集落の機能をなんとか維持してきた村の存在も、1990年代にはさらなる高齢化や世帯数の減少が進行し、その存続維持自体が段々困難となります。
これが「村の空洞化」です。
ただ「人」「土地」「村」の空洞化だけで、集落の凋落を語ることはできません。
なぜなら、そもそも集落や村がどのように形成されたかが私たちの頭から抜けているからです。
では、そもそも集落や村はどのように形成されたのでしょうか。
それは、集落の全てがそうだとは言いませんが、多くが国策としての行われた戦後開拓によって入植された土地でした。
限界集落と戦後開拓との関係
戦後開拓とは、文字通り大戦後に行われた国策の一環です。
食糧増産を目的に、復員軍人や戦災者の就業を目的として行われた農地開拓事業のひとつです。
ただ国策ではあったものの、開拓に提供された土地は食糧増産には適さないところも多く、開拓地の営農は困難を極め、あまりに土地が農業に適さないことから畜産に転じ、ようやく開拓地としての役割を果たせたところもあったようです。
そして1961年の方針転換を経て、1975年には開拓行政を一般農政へ統合し、終結を迎えます。
しかし、あまりに付け焼き刃の策だったというのが戦後開拓の実態でした。
中心になって辛抱強く働いたのは、復員軍人の子達にあたる昭和一桁代生まれの人たちです。
集落によって差はありますが、限界集落の中で一番人口比率が高いのも昭和一桁代生まれの人たちだと分かっています。
彼らよりも若い世代に団塊の世代が存在しますが、彼らは集落に留まらず、都市部に働き口を探そうと村を後にしました。
団塊の世代より一回り下の昭和10年代生まれの人たちも、都市部に出て働こうとする人たちが多かったようです。
つまり戦後開拓で集落を支えていたのは、その当時の働き手である昭和一桁代生まれの人たちだったのです。
いまこの世代も、ちょうど80代に突入し、遅まきながら世代交替を済ませなければなりません。
そしてここが大事な点ですが、曲がりなりにも粘り強く農林業あるいは畜産業を存続している集落は、計画的に再生していける可能性があるということです。
財政を考えると過疎地は無駄を生むことになってしまいますが、山林など山の資源の荒廃は、海や河川に少なからず影響を及ぼし、ひいては漁業にまで影響を及ぼします。
こうした国内の自然の生態系を守るためにも、集落の世代交代は必要不可欠といえます。
限界集落の実状とは
現在の農山村や中山間地域の集落の多くは、先ほどの例でいくと「土地の空洞化」以降にある地域がほとんどと言えますが、過疎が進み限界集落に進みつつある地域も年々増加傾向にあります。
総務省が定期的に出している限界集落の最新データをみると(2010年調査分)、過疎地域での集落数は前回調査時より増加傾向を見せています(64,945集落)。
そして前回調査からの4年の間に93の集落が消滅したことも分かっています。
また20世帯未満の小規模集落および高齢者割合が50%以上の集落ほど、本庁までの距離が遠く、山間地および地形的に末端である傾向が強いなど、僻地ほど限界集落化しやすい現状があると言えます。
ちなみに地方ブロック別でみると、北海道圏・東北圏・九州圏・四国圏では対象地域で生活する人口・世帯が全体の2割を超えています。
あらためて言うまでもなく、日本の大部分は過疎に繋がる可能性があり、東京をはじめとする狭い密集地域に経済活動が集中していることがわかります。
地方を歩くと分かりますが、意外に近場に過疎集落が広がっているのです。
ただ繰り返しになりますが、集落が消滅したり状況が厳しくなったりするのは、高齢化が直接的な原因ではありません。
それよりも戦後開拓、災害による移転、ダム建設に伴う移転がきっかけで多くの集落が消滅しているのです。
つまり内的要因ではなく外部要因で集落がなくなっているのです。
たとえば東日本大震災に伴う福島県の被曝地域などで誰も戻れなくなってしまった集落などが、近年のその代表的な例と言えます。
また被曝はしなかったものの、津波による被害から未だに立ち直れない集落も存在します。
こうした地域では、住民にもはや自宅を再建するだけの経済的余力は残されていないことが多く、同時に集落の自助力の枯渇を示唆します。
ただ限界集落はもともと生活していくだけで精一杯だった地域であり、自助力に余裕のない僻地の集落は、共助や公助を必要とします。
限界集落が抱える問題点とは
次に、限界集落にはどのような問題点があるのか、以下に考えをまとめてみました。
データ不足で問題点や実状が分かりにくい
現在、限界集落について国のどの機関が中心になって考えているか、きちんと確認すれば分かるとは思いますが、国土交通省と農林水産省の他に総務省も絡んでおり、国民から見て非常に分かりにくくなっています。
しかも集落の現状に踏み込んで出されたデータと言えるものは少なく、省庁が把握する数字を分析的に羅列したものが目立ちます。
限界集落の問題は、行政側の都合だけ押し付けても解決はできません。
もちろん財政的な議論も必要ですが、もう少しバリエーションを持った、もう一歩踏み込んだ分析資料を関連省庁が提示することで、国民の問題意識も高まるのではないでしょうか。
必ずしも高齢化が原因ではない
記事本文で繰り返し言及していることですが、集落が消滅していく原因は必ずしも高齢化ではありません。
確かに、集落の人口減少は、その集落に少子高齢化が起きていることも絡んではいますが、少子高齢化は日本全体にも言えることです。
たとえば、日本で初めて限界集落として知られることになった高知県の大豊町や島根県の邑南町。
いずれも高齢化が理由で集落が消滅に至ったわけではありません。
かなり厳しい状況にありますが、今も集落として存在していますし、普通の町の世帯と同じように、分離して暮らしている子世帯が定期的に郷帰りし、子と親の絆は分断されてはいません。
むしろ町で生活している家族より、より強固な絆を形成している場合があります。
つまり限界集落の問題を考える際に、高齢化のみを原因と認識し議論を進めていくと、誤った対策を取ってしまう恐れがあります。
財政上の問題も絡んでくる
限界集落や僻地集落は基本的に一人当たりにかかる経費が割高となり、財政上見過ごせない問題にもなってきています。
そのため経費を考えた支援策・対策を考える必要が出てきます。
限界集落の問題を考える時、行政の力だけではなく、企業のアイデア力や近年増えつつあるNPO法人の力も重要になってきます。
限界集落への対策や取り組みについて
ここでは限界集落の問題について考えられている対策・取り組みについて挙げてみます。
集落への移住希望者の紹介・斡旋
僻地集落を抱える各自治体では、集落への移住希望者を盛んに募っています。
インターネット利用が一般化した今、NPO法人などが作成したウェブページから移住希望者を集めることに成功している地域もあります。
また移住希望者に生活する場所を手配することも各自治体の重要な役割ですが、空き家の買い取りや賃貸物件として紹介する空き家バンク的な機能をウェブページに載せている場合もあります。
ほとんどの建物は何らかの修繕が必要ですが、住めないほど傷んでいる物件は掲載されていません。
写真や動画を活用しながら広く情報を公開できる環境が整ったことは、限界集落問題を解決するにあたり追い風となっています。
既存施設を改修し、宿泊施設やカフェなど事業化
移住希望者の中には集落の可能性を信じて事業を起こす人もみられ、大きな成功を収めている事例もあります。
たとえば兵庫県は丹波篠山にある宿「集落丸山」は、高級古民家ホテルとして非常に有名です。
集落丸山の管理運営はNPO法人が行っており、地域コミュニティ支援や地域活性化事業にも力を入れています。
ワーカーズコレクティブ(労働者協同組合)にも期待
村の活性化に取り組んでみることは、ワーカーズコレクティブ(労働者協同組合)を作ることでも可能です。
この分野は介護業界の方が進んでおり、村おこしで紹介できる事例は残念ながらまだありませんが、これから集落営農法人や集落営農組合化を始める方が出てくることは間違いないでしょう。
ワーカーズコレクティブ(労働者協同組合)が集落活性化の起爆剤となる日を待ち望みたいと思います。
限界集落 まとめ
上記にご紹介した事例以外にも、ITを活用した産業育成も限界集落での有望な対策として考えられています。
もちろん限界集落の活性化にはどんな対策であっても時間がかかります。
ただ技術革新が進む現代だからこそできる新しい取り組みがあるのも事実です。
ぜひ今後の活性化活動にも注視していきましょう。